top of page

トンネルヴィジョン

《トンネルヴィジョン》岩手県釜石市の旧道に今も存在する「鳥ケ澤隊道」をテーマとしたオリジナル。トンネル好きには少しばかり有名らしい。私が小学校低学年までは、父の車で家族4人ここをよく通った。道が狭くすれ違い出来ないので、入り口からパッシングするのが暗黙の了解だった。そのチカチカと向こうで光るヘッドライトが今も心に刻まれています。


本作は以前私が稼働させた中で(FLAT122以外では)最も気持ちの入ったユニットだった。 「IMAGO」という。

編成はフルートとオーボエをフロントとし、強力なテクニックを持つメンバーで構成された理想に近い内容だったと今でも思う。残念ながら私のコントロールに至らないところがあり、空中分解してしまったが、このユニットのために考えたのがトンネルヴィジョンになる。これは当初譜面を一切使わないルールで、4曲の即興から成立させるものだった。勿論、譜面を使わないからと言ってそこに設計がないわけではない。小品それぞれに特長的なルールを設置、進行の助けとなるように工夫を入れていたのだが、その後もアプローチが簡単であるところから、別なバンドでもライブで演目に入れた記憶がある。これをFLAT122でもやることとなったのだが、やはり!と言うべきか、次第に妥協点が上がって前回ライブでは半分程度、譜面化されてしまう。 つまり、即興ではなく楽曲化されたのだ。FLAT122というのは不思議にメンバーが変わってもどうしてなのか、譜面を無視しない(出来ない?) 結成当初から数理的なところから、イメージを構築するところがあるので、それは何のことはない私自身が即興を大きなポイントにしながらも、どこかでこのアプローチを完全に信じていないところがあるのだと思う。 自分が表現したい言葉に出来ない、様々な要素の交差、それが即興という曖昧な方法によってどこかで曲がってしまうことを嫌う部分があるのだ。 と言って、即興パートがないわけではない。波濤やMatuskura Snowにはしっかりと組み込まれている。ただこれらの即興も、ルールは設定されており、使用する音や音楽内容、方向性はある程度の指示出しをする。 即興の垂れ流しほど、みっともないものはないし、同じようなループに陥ると抜け出せなくなったりするから。 さて、トンネルヴィジョンは、現在まな板の上にのっている。 4曲中、01・04は、最低最悪の「音楽外科医」の私にメスを見舞われるのである。


佳境に入ったトンネルヴィジョンの作業 次回ライブ2024年8月17日では間違いなく演奏いたします。

01はほぼ終わり、細部を見つめ直すところまで来た。 04は現在、作業中。これは私の現時点での作曲スキルの限界に挑戦した変態極まりない小曲である。100小節にも満たない11拍子の作品に、胡桃大の脳をひねくり回して考えた、音の重なりが異様な音数になって譜面に表示されている。 よく自己満足を軽蔑する人がいる。昔から音楽の現場で、耳タコで聞いた言葉だ。しかし、どうかな。自己満足があって初めて次のハードルを超えられるのだ。これがあって音楽家ってのは、何とか生きて行くのだ。自己満足無くして作曲はない!と思う。

どうせすぐに自己不満足となるのは目に見えているのだから。

しかし、トンネルヴィジョンが次のステップに上がることは明確だ。

完成の域に入ったスパイラルの右か左かは分からないが、位置するような存在になって欲しい。出来ない子を持つ親バカの心境です。

bottom of page