FLAT1−22

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「リボーン」という小説がある。ポール・ウィルスンの代表作であるホラー6部作のひとつとなる(因みに記念すべき1作目は「キープ」これが気にいると一気に長い旅に出ることになる。)が、僕は何故かこのFLAT1-22から、この傑作ホラー小説を紐付けてしまう。
リボーン = 生まれ変わり
2002年から8年ほど活動したFLAT122は、ベースレストリオをとして実験と破壊を繰り返して音楽の模索を行った。その捨てられてしまった残骸の数は呆れてしまう程だ。最後にはゲストを入れてバンドは幅を広げて、初期のシンプルな形態から離れて行くが、そのコンセプトは現在のステラリージョーンズ(ギター・平田聡が率いるプログレッシブユニット)の萌芽となっていたように思う。頓挫しただけで解散したつもりのなかった僕は、数年間このユニットの再生で手一杯だった。その辿り着いた果てに在るのが「FLAT1-22」ということになる。旧FLATと最も異なるのは、ギターの不在と言うことになる。これはあまりには大きすぎる変化と言えるし、正直に言えば大きなマイナスの面を感じる部分もある。そもそもこのバンドの始まりがドラム+ピアノだったところから、原点に戻ったという言い方も出来るのかも知れないけれど。僕には「新しいもの・古いもの」という基軸は存在しない。旧作であっても真新しい新作が超せない要素があるのが音楽というものであり、またどういった世界でもそういう部分はあるように思う。工業製品である自動車だってそうだ。よく「最良のポルシェは最新もポルシェである」と言われる。しかし、それは機械としての洗練、進化においてはその通りだが「車が単なる移動手段ではない」という観点からしたら全く違って来るだろう。未だ古い911に乗っているマニアが多いのは、どう説明するのか?この世に正しいことは沢山ある。正しいことはひとつではない!ということを刻んでおきたい。古い作品でも精査と改善を続け、何時でも磨かれた音楽として聴き手に対峙したいと思う。それは渇きにも似たイメージ表現に対する拘りがあるからだ。メカニカルな要素、例えば変拍子であるとか、ポリリズム、数多ある音使いのメソッド。それらは無論大切なものだが、所詮表現の下に配置されるものだ。FLAT1-22が既知のどこかで聴いたデティールのミックスではない、可能な限りピュアな音の構築により少しでも「見たことのない絵」を演奏出来たらこれに優る幸せはないと思います。
川崎隆男/p・中島洋隆/b・田辺清貴/dr