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5拍子

5拍子は自分の最も好む拍子と言えます。変拍子は、何か奇天烈な音楽を手っ取り早く表現する手法として使われますが、本当はそれほど大袈裟な技術ではないと思います。よく演奏家に変拍子を作品を渡すと、割り方を確認して来ます。5拍子であれば2+3、3+2、1+4、4+1、もしくはガチの5拍子です。割らないと! 2+3、3+2の場合は、割った段階でレギュラーな拍子の組み合わせであり、それほど不自然なことではないと思います。それは実際のフレーズ、ラインによるところも要素としては大きいですが、僕個人は5拍子はどこか3拍子系の亜種として捉えているところがあり、別段特別な拍子ではなくなっています。4拍子を普通に使うように、いつの間にか5拍子で作品にアプローチしていくことは多々あります。本当に作為的に変則的な作品を作りたいのであれば、本当は変拍子を使うよりは、4拍子や3拍子にしておいて、その中でリズムを工夫する方が遥かに可能性が広がるかも知れません。また、長いスパンで小節線を入れない考え方もありです。小節線などと言う鬱陶しい?ものがあるから、音楽が平坦で抑揚が付かないと言うケースは無意識に多く存在してます。例えば、メシアンの作品においては拍数で言うと44拍をひとかたまりとして小節線が来ないと言うのは何も珍しくないことです。作品の書かれ方にルールなど無いわけです。またその書かれ方に、このように書くべしなどと言う傲慢な話はない。どこかのゴルフ三昧で勉強の足りていない政治家の憲法解釈とは遠く違う音楽の実におおらかな良いところです。5拍子が好きだとは言っても、この5拍子を四角四面に細かくシーケンス的に繰り返すのはフレーズによってはカッコいいとは思います。しかし、これを基調をソロを取るとなると、それはもう難しい。付点を付けただけでも弾きにくくなるし、三連符を細かく入れただけでもリズムは即行で崩れます。ソロの可能性を広げるためには、深堀して考えないと駄目なようです。数学的思考の必要性はこうして音楽にも入り込んでくるケースがあります。数学の得意だった方は、こうした幾何学的な音楽方法には滅法強いに違いない。高校時代、女の子のことばかり考えていた僕などはこうして年寄りになって慌てても難しいのです。変拍子とポリリズムは僕の音楽の大きな要素です。これを捨てることはないのですが、更なる考察と進化が必要に思います。自分の音楽がどうもつまらない!と感じること、、これはマズイ状況なのです。実は聴き手さんというより、この自己満足の部分がとても大切なのですよね。自己満足ってよく批判的に捉えられるけれど、そんな悪いことなんですかね?最低線としてまず自分が満足しなければ、聴き手に届ける気持ちにはならないです。自分が楽しい、これ面白いかも?と思う気持ちが何より大事と思います。

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