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ヘーゲル・弁証法とFLAT122

更新日:5月13日

FLAT122の理念、理念と言えば、大切な言葉ではあるものの、気軽には使いたくない言葉ではある。が、まあ敢えて。それは"破壊と再生"ということになる。作曲者はこれを際限なく繰り返す。それをあまり気にせず(無頓着なのか、鈍感力なのか、変化を好む生来の性格なのか)付き合うメンバーだけが結局のところ残ったように思う。彼らは私の改善(改悪?)をさほど気にしない。普通、音楽を修正するのは、そこまでの練習や、リハーサルの時間を要しているのでその時間を無駄にする、と捉える向きも多い。しかし、私はその考えでは音楽は停滞したままだと思う。作曲者は、古今東西変更するのが仕事みたいなものなので。それが困ると言うのはこちらが困るのである、笑 さて、それにしても私の作品の場合、非常に演奏の難しいものが多いように思う。なので、上記のように書いたものの、作品の改訂に神経質になる気持ちは分からないではない。しかし、果てのない蛇行の末完成の域に達した数曲。その道のりは信じられないほど長きに渡る。その間、私の音楽に協力してくれた物好き?なアーティストは大体20人ほどだろうか。彼らが居なかったら今の私の作品はないのだから、もう少し感謝の気持ちを持つべきかも知れない。

先のGWは実に長かった。お陰で、私は哲学関係の記事をネットから拾って読み漁っていたが、誰もが知るヘーゲルの弁証法、つまりテーゼとアンチテーゼ、そしてそこから導き出されるジンテーゼ、そしてそのジンテーゼがまた、別な要素と交差して生まれるテーゼとアンチテーゼは、まるで蜂の巣の模様そのものであり、もしかして蜂は弁証法を熟知しているのではないか?と思うほどである、笑笑 FLAT122の場合、まずスタートには否定が来なければならない。否定があって改善が始まるが、これにより破壊される部分の割合は、ひどい時は曲全体に及んでしまい、結果的に別な作品になってしまうという例もある。自分の描く完成図まで作品を変革していくのだが、実際には完成はしない。だが、近いところまでは這うようにして辿り着く。 曲の完成なんて考えは、人間の傲慢な態度でしかない。完璧な作品なんて存在しないし、何をして完璧な曲なのか、神様でも知るまい。



🔺作業中のトンネルヴィジョン04(抜粋12小節ほど)  このテーマ後、展開部とギターソロパートで訳のわからない世界へと踏み入れる。


こうして、ふらふらと覚束ない足取りで「FLAT122独自の弁証法とやら」で、進んでいくのだが、今、ようやくガレージから出庫しつつあるのが、トンネルヴィジョンの新しいバージョンである。この作品は当初4点の即興曲という成り立ちだった。それがもはや2番目を抜かして全て譜面化された。これもまた、理想を追い求めるこのバンドらしいところかも知れない。即興を捨てたわけではないが、不要であると結論付けると、どこまでも細かく音の使い方を磨く。次回はライブは8月17日になるが、演目は似たようなものだろう。が、しかし、それでは内容まで一緒か?と言われると、それは音楽ファンたちが予想している通り、すでに切ったり貼ったり、取り付けたり、外したり、自分たちだけの理想の乗り物を設計している最中です。

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