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irrmeter13

FLAT122-原理主義

頑迷な程にベースレスギタートリオという変則的な構成を追い込んだ演奏ユニット。蛇行の果てにようやく本来の音楽を取り戻しつつあると思う。蛇行が無駄だったとは思わないが少々長過ぎた。三人のユニットではギターとピアノの音の組み立てが音楽としてはメインでありドラムはその出来ているサウンドにどのように切れ込むかということになる。音楽の作られ方は見通しがよく、整理されている。FLAT122がこのバンド本来の音であるかどうかを見極めるのは作曲側からの見地でないと分かり難い。 というのは不協和音の発し方に特長が見られるのだが、それは譜面と格闘している私自身結論付けていない部分になる。理論的なところからすると、それはかなり遠く、ルールを逸脱しているのは確かだ。ギターとピアノは時として、全く違う音楽を奏でているかのようなラインを描くが、急速に半ば無理矢理それを収束させ、次の展開に備える。 作曲している段階で、ギターとピアノの音を乖離(オープン)にさせて、立体的なイメージを演出する意識は確かに私にはある。 FLAT122ではベース方向(低域)から音が抜け落ちて、何か頭でっかちなアンバランスなサウンドとなることを全く恐れない。それはそれで一つの音楽なのだと言う判断。 協和すること、バランスをとること、は特に聴き手にとっては重要な音楽要素であることは誰でも感覚的に分かっている。 しかし、おそらく私が表現したいいくつかのことに、こうした普通考えなければならない基本は少しくらいは考えるものの、プライオリティとしてはずっと下の方に位置している。 作用のある音楽が理想だし、目指す方向だ。 作用は、聴き手にとって、個人それぞれどのような反応であっても構わない。 演奏ユニットの最も良き部分だ。歌や歌詞があって、愛だ恋だ!と叫ぶ歌はない。そういう強い強制的な方向付を持たない。聴き手は私たちの音楽を聴いて、好き勝手に旅に出たらいい。何か忘れたことを思い出して、音楽そっちのけで記憶を辿っても演奏ユニットは音楽の目的を達したことになる。タイトルの原理主義とは、FLATの場合ギターとピアノの音の外し方、自分達の信じる重さを糧にしてルールを超えてしまうこと。既成のスタイルを極力追わない。ニュートラルな白紙の上に音を描くことによる。 「あれ?ちょっと変だけれど、協和しているようにも聴こえる」という聴き手の耳を新しくする、表層的な美しさではなく、心の動き、時間が作り出す記憶から自分達の音を磨きたい。

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