音楽をやる理由を、よく「結局『愛』なんだよね」と堂々と言える人がいる。少し羨ましく、少し恥ずかしいという気がする。根が東北の田舎侍?なので、とてもとても思っても言えないし、思ってもいない、、笑
でも、音楽を長くやっていると、自分が音を紡ぐ導線というのか、形にするまでにどのような仕組みになっているのか、ということには興味が尽きない。 あまり突き詰めると、音楽に対する神秘性が損なわれて、急速に冷めてしまうのは恐ろしくもあるが、しかし、作品を見つめる場合に、そういった観点が心の底に横たわっていた方が良いような気がする。 年を重ねて突き詰めて行くと、私が表現したい中心には「時間」があるように思う。 音楽がどこか数理的になるのは、そういうところかも知れない。 時間の中で、過ぎ去った時間の何と膨大な量だろう!と思う。 今もこの瞬間、時間は過去へと追いやられていく。 そして、過去確かに存在した事実(英語で言えば「occurrence」ってことになるのか?)、それは今も、その地点(時点)に息づいているという認識を持っているし、またその方が興味深い。 私の音楽は、大体この調子で、過去起こったことがテーマになっている。 ただこれは、あまり大袈裟なことは少なく、ふとした取り止めのないことや、瞬間的な映像であったり、急速な心の動き等が殆どだ。 自分にとって、どうしてなのか、この過去の極端に短い記録映画が、作品の主体になっている。 私の音楽を聴いていただくときには、本当に自分なりに自由に気軽に無防備にお願いしたい。自分で勝手に想像の乗り物を拵えて旅に出ていただければ、どう感じてもらおうとかまわない。 聴く人に、気持ちの良い作用があることが、最大の幸福です。